会長のつぶやき
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②乾杯の挨拶と発声は、来賓とスタッフの両面を担ってくれてた「谷口2代目社長」には社員の不祥事を「最少」に留め、仕様始末によっては、会社の存続さえ無かった「大恩」は事事の因は現場、現認にあることを教えて戴いたことである。
郵政局勤務は”N郵便局長”最後に。退職後は四国郵政技官として後進の指導中、わが社の2代目社長として「防災製品」を、四国、特に徳島県の地交体への販促を推進し、平成27年には徳島県の「認定商品に推挙され」完売をするという業績を残されている。
「感謝祭」 P4
③7年~8年前までは「古来、稀なる年」を期しての同窓会の定番は「4組Sグループのリーダー」組長のS君を中心の下。毎回、クラスに飛びぬけて”参加者出席率”はいつも最高のグループである。
彼は亦、我社の草創以来「顧問税理士」として個人会社の節税と「会社を作る以上、「税金を納めるような設立を」と、今も心して経営をして創立40周年、「法人設立して30年」激しい業界では、組合の役員(専務理事・理事長を、2期8年間を無難に両立ができたのも彼の注進、箴言は大なるものがあった。
彼は亦、老いて発病してからは厳しいといわれる「脊柱管狭窄症」を彼のスポーツマン魂で見事完治され、冬期は北海道へ何回も「スキーツアー」参加したり、時に四国税理士会のアトラクションで「ソフト・ボールのピッチャー」したとか、文武両道は「驚愕」である。※因みにカラオケコーナーで先陣を切ってくれたのも、愛称「○○急便・〇〇青果」さん!
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⑪先述で「Tスポーツジム」で知古の間柄になったのは、この人「某ポリマー化成」で勤めを終え、著作・講演・等での活躍は兎も角、「T氏 マラソンランナーと何時も一緒の行動を執られているので時に、{S}(M)の関係(決してそうではない)でないかと疑う人もいるくらいである。が、年老いた親御さんの介護(実は逆に介護されているのでは!?)しながら生活をされているのは、私には「言葉」が出ない。時に励まされたり、教示されたり、多彩な彼は{評論家」乃至は「解説者」であるのかも、彼の言っておられることに一つ一つ納得するのは、説得力の所為か!?
初版の著書「エクセルに学ぶ”省エネ”本は、私の手元にはなく、覚えているのは、はしがきか、あとがきか「良く頑張ったと”母親”から賛辞を貰ったことを喜んでおられたことは羨ましい限りだ。
私には、親から直に褒められたことは記憶にないからかも 最近は「元気な病人」を自負されてるのは私と似ていて、親近感を覚えている。歌は確かに「上手い}し感情も籠っていて聞きやすい((笑))
「感謝祭」 P5
「M音学協会徳島」の連絡所と県幹事の関係 を20年間、一緒させて貰い「N後援会会長・会員」の間柄で夫妻共々なんでも言い合える真の友人である。、会社や家族も よく似ていて
違いは有るといえば、規模と後継者で、2代目社長(現会長)と、私は創立者(現会長)位で
あろうか、「奥様、K子さん」とは目線を合わすだけで「挨拶」ができる夫妻は理想の家族だ
最近、私と彼「Tさん」は、誰かが止めてやらねば、少し「長話傾向」にあるのが共通点の様
通教(S大定時制)に入学、見事「司法書士」の資格を取り開業した「I氏」と」Tさん」の三人で合唱できたこと・・・「よかった」「感動した」と褒められたことは「自画自賛」の類
「感謝祭」して良かった事の一つでもあった。(お酒のせいでなく、少し自分に酔ったか!?